模様銘仙を訪ねて | |||
梅雨の頃、台風が。。。というようなこの時期に 足利へずんどこ行ってまいりました。 目的は、職人さんとの打ち合わせです。 京都から東京へずんどこずんどこ 東武伊勢崎線に乗り換えてずんどこずんどこ やっと足利についた時にはもう夜でした。。。ふー 15時頃京都を出たので、もう21時前です あたりは、真っ暗なので、翌朝取ったのが下の画像です 風車の向こうに見えるの緑は土手です。 何の土手かというと渡良瀬川。 森高千里が歌っていた渡良瀬橋も ここがテーマですよね 歌詞のようにきれいな所です。 もちろん、渡良瀬橋で見る夕日もね^^ |
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足利の飲食店に飾られていた絵画です。 あまりにも見事だったので、許可をもらって 写真を撮らせてもらいました。 銘仙を着て椅子に座っている女性の姿が、 なんともおしとやかです。 |
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下絵のサンプルや仮織された千切、はぎれ見本などを見ながら、説明を聞きながら職人さんと打ち合わせです。 打ち合わせとは名ばかりで、若輩者の私に親切にご教授頂いたと言った方がよいかもしれません<(__)> |
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模様銘仙下絵のサンプル/型枠のサンプルです 仮織された縦糸が巻かれた千切です。 白い横糸(力糸)が仮織されているのがわかります。 この横糸を解しながら、本織していくわけです。 |
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戦前、戦中の銘仙のはぎれサンプルです。 しわや折れ、くすみが時代を物語ります。 復刻したものと見比べてください。 同じ柄のがありますよ^^ |
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左の画像、判子が押してあります。 少し見難いですが、 「銘仙19(平)」 「栃木・絹・検/三山織物合資会社/足織工組」 「格合不」←こっちから読むと「不合格」 となっております。 所謂、難物だったゆえ、販売されずサンプルとして 現在に残ったという経緯です。 明治、日露戦争当時からその費用捻出のため、 当時の政府が取った「織物消費税」というものがあり、 生産された織物すべてに税金がかけられていました。 生産された織物は、すべて織物組合で登録され、 このように判子が押されていたようです。 織物消費税自体は、昭和25年に廃止されたようですが、 当時の日本人の着物が「着る物」であり、 大量に生産され、そこから税金が取られていたことがわかります。 今の我々からすると、ぞっとするような税制ですよね。。。 |
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ひとしきりお話が終わった後、 「織物会館へいくかね。」と 気軽に案内された足利織物会館。 どんなとこだろう?と考えてると、 以前、社長のお供で行った事がある建物。 中には、食べ物屋さんやテナントが入っておりました。 お昼をいただき、その建物の2階に行くと、 中には貴重な資料がたくさんありました。 右の画像は、昔の織物会館だそうです。 現在の建物は。。。(TT)テナントビルのような感じで 感想は、少し悲しかったです |
銘仙を着た女優さんのポスターや若かりし昭和天皇が訪れた記念写真など、 その他貴重な資料がたくさんありました。 |
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左は、有名な画家 (伊藤深水、北野恒富、鏑木清方、山川秀峰など)が描いた美人図 (田中絹代、市川春代、川崎弘子など)が 昭和13年に足利銘仙会から足利内地織物工業組合に移管し最も意義ある記念品として永久に保存を委託する旨の目録です。 現在、これらの品は足利美術館に収蔵されております。 足利美術館⇒http://www.watv.ne.jp/~ashi-bi/ |
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この他にもいろいろご案内していただいたのですが、職人さんから昔の貴重な話や現在の状況などを聞いていると 今後は、足利銘仙生産はますます難しくなる、とのことです。ちょっとしたジョークなどを織り交ぜて気楽に話してくださる職人さんも 御年70歳超えていらっしゃいますから。。。「あんたと後30年は一緒に仕事がしたかったな〜」と笑いながら、お酒を飲み交わしてくださって 私、感動のあまり泣きそうになりました。 なんだかレポートみたいになって、私は根っからの商売人になりきれないのかもしれませんが、 「何十年と、織の仕事をしていて、今、銘仙を作っているのが楽しくて仕方がない」とおっしゃってくださる職人さんと出会えて 損得抜きで足利が銘仙の産地として残って欲しい、そう思いました。 願わくば、流行でなく、過去のものとして飾られ無くなってしまうのではなく、このまま愛され続け、生産され続ける着物であって欲しい、そんな思いです。 |
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